2010年08月03日

ラバウル小唄

NHK の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」、面白いですね。出勤前によく見てます。

原案の「ゲゲゲの女房」(布枝夫人著)と、書店で隣に並んでいた「ゲゲゲの人生 わが道を行く」「敗走記」白い旗(水木しげる著)などを休日に読み、パプアニューギニアについての記述に、とても懐かしい気持ちになりました。



私が物心ついた頃には、既に祖父の部屋には、パプアニューギニア関連の木彫りの彫刻やお面などが壁一面に飾られていました。水木しげるさんの家はもっとすごいそうです。

たぶん、他人から見たらかなり異様な部屋なのだろうと思うのですが、私の場合は最初からそうだったので、特に不思議にも思わず、祖父や祖母は戦争の話もほとんどしない(世代が少し下なので、祖父はいよいよ戦地に飛び立つという数日前にちょうど終戦だったそうです。)人だったので、単純にそういうのが好きなんだろうなとしか思っていませんでした。

今回水木さんや布枝夫人の著作を読んだのをきっかけに、実家の祖母に電話で話を聞いてみたところ(祖父は私が高校一年の時に既に他界しています。)、どうやら祖母の父が、水木さんと同じように南方(おそらくラバウル)に向かい、水木さんは奇跡的に島にたどり着いたのですが、祖母の父は多くの輸送船と同じように、島につく前に撃沈されたそうです。
(水木さんの輸送船を最後に、無事にラバウルに辿りつけた船は存在しないそうです。もちろん辿りつけたとしても、20 万人中 18 万人が戦死した地獄の激戦地、「死んでも帰れぬニューギニア」なわけですが…)

祖母は布枝夫人と似ていて(?)、とても芯は強くしっかりした人なのですが、引っ込み思案で旅行などは苦手な人で、祖父が半ば強引に、知人と企画したパプアニューギニア慰霊旅行に祖母も連れて行ったそうです。
(祖父は地方の土建会社を経営していて、顔がとても広く、様々な知り合いがいる人でした。)

祖父は現地の生水を飲んでお腹を下し、ジャングルに入ることはできなかったそうです。祖母も、あまりちゃんとした格好をしていかなかったため、ジャングルに入るのは非常に大変だったそうです。しかも、どうも話を聞いていると、ちゃんとマラリアなどの予防接種をしていったわけではなく、「蚊取り線香を焚いてたら大丈夫だった。ホテルに入っても、出る時も焚いていた。」などと言っていました。現代の感覚からするとヒヤヒヤものですが、おおらかな時代だったのでしょうかね… やはり昔の人は強いです。(今ちょっと検索してみたら、現代でも予防接種は必須では無いようです。もちろん、ジャングルに入るような時は、絶対にやるべきですが。)

現地の人との心温まる交流の話なども聞くことができました。(当時はまだ日本人の旅行者は珍しかったそうで、大変親切にしてもらえたそうです。蚊取り線香や、お墓に供えるお菓子などが、とても珍しいので、非常に喜ばれたそうです。)

8 月というこの時期に、このような本と出会えて、亡き祖父の思いなどに触れる機会を得たというのも、何かの縁なのでしょうか。

祖母は「行ける機会があったら行っておいた方が良いよ。なんのらずもねぇ(岩手の方言)暑くて大変だけどな。日本人がやってるホテルがあって、そこは楽だった。」と言ってました。(今でも日本とパプアニューギニアは交流があるのでしょうか ?)私も将来機会があったら、日本兵の慰霊に行ってみたいと思いました。

戦争の話を聞くたびに、ほんの数十年前なのに、こんなに死が身近な時代があったのだなと思います。水木しげるさんの目に見えないものを感じる感性や、祖父が熱心な仏教徒(浄土真宗本願寺派。もうすぐ京都の西本願寺にくるそうです。)だったのも、そこらへんに根差しているのでしょうか。

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